HISTORY
コルナゴの歴史
コルナゴの歴史
数あるイタリアンロードにおいて頂点に君臨するブランド=コルナゴ。
エルネスト・コルナゴは有力プロチームへのバイク供給を絶やすことなく
自らを切磋することで数え切れないほどの勝ち星を納め、
人はコルナゴをロードレースの歴史の一部と讃える。
時代に先鞭をつける形で量産型カーボンロードバイクが席巻した90年代以降、
現在に至るまでエルネストの哲学と信念は脈々と生き続けている。
イタリア ミラノ近郊の都市、カンビアーゴにて7坪ほどの小さな工房で弟のパオロとともに「チクリ・コルナゴ」を開く。
モルティニのジャージを着用したミケーレ・ダンチェッリがミラノ~サンレモに勝利。コルナゴが手がけたバイクが大舞台で初の勝利を納める。
エディー・メルクスはメキシコシティの競技場において、コルナゴが製作したバイクでアワーレコードを樹立。車体重量をわずか5.65kgであった。
ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世にコルナゴ一家が拝謁。黄金に塗られたロードバイクを献上する。
フレディ・マルティンスはプラハで開催された世界選手権にて、スプリントでジュゼッペ・サロンニを破った。彼らはともにコルナゴに乗っていた。
ジュゼッペ・サロンニは昨年の屈辱を晴らすべく、世界チャンピオンになる。翌年のミラノ~サンレモではアルカンシェルを着用し優勝した。
ロサンゼルスオリンピックの100kmチームタイムトライアルにおいてイタリアチームが金メダル獲得。彼らが使用したバイクはコルナゴであった。
ヨープ・ズートメルクはイタリアのモンテッロで開催された世界選手権で優勝。クロモリバイク全盛の時代でコルナゴ知名度をさらに高めた。
ジョバンバッティスタ・バロンチェッリは過酷なコースレイアウトで有名なジロ・デ・ロンバルディアにて優勝。
1986年から始まったフェラーリ社とのコラボレーションで生まれた量産型フルカーボンロードバイク「C35」(創業35周年記念モデル)」を発表。
マペイチームは40周年記念モデル「C40」で勝利を量産。22年ぶりにアワーレコードを更新したトニー・ロミンゲル。
マペイのフランコ・バッレリーニがパリ~ルーベ優勝。その後2000年までにマペイがコルナゴと共に5度の優勝を納め、使用されたC40は世界でもっとも過酷なレースにおいて高い性能を実証した。
パベル・トンコフはコルナゴのカーボンバイクでジロ・デ・イタリアを総合優勝。トニー・ロミンゲルがヴェルタ・エスパーニャを総合優勝。ダブルツールをコルナゴが制した。
フェラーリ社とのコラボレーション「CF1」を発表する。後に続くコラボレーションモデルにはCFの呼び名がつけられた。
オスカル・フレイレはリスボンで開催された世界選手権で優勝。2004年に2度目の優勝を飾る。95年オラーノ、96年ムセウ、98年カメンツィンと世界選手権をコルナゴが制した。
パオロ・ベッティーニはリエージュ~バストーニュ~リエージュでステファノ・ガルゼッリとワンツーを決める。ベッティーニが勝利を量産した年であった。
50周年記念モデル「C50」を発表。カーボンラグ製法のフレームにエアブラシで巧みにに描かれたアートデコールは以後定番となる。
新城幸也がジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスのステージ入賞を果たし、世界選手権で前人未到の9位の成績を残す。
スベン・ネイスがシクロクロスの世界チャンピオンを獲得。最強伝説を支えたのはコルナゴバイクであった。
60周年モデル「C60」を発表。極太パイプをカーボンラグにて繋ぐ製法で、プレスフィットBBを採用し時代の潮流に乗る。
女子プロ・ロードレーサー萩原麻由子選手がイタリアのステージレース「ジロ・ローザ」にてステージ優勝を飾る。
フィリッポ・ガンナはトラック競技の4km個人追い抜きで世界チャンピオンとなる。
C60の後継モデルとなる「C64」を発表。進化した伝統のラグドフレームは、Cを冠するフラッグシップの名をまたひとつ上のステージへと押し上げる。
タディ・ポガチャルがツール・ド・フランス総合優勝。マイヨアポワ(山岳賞)、マイヨブラン(ヤングライダー賞)も獲得し三冠達成優勝。史上2番目に若い年齢での優勝を支えたのはVの最新モデルとなるV3-RS。