HISTORY
コルナゴの歴史
コルナゴの歴史
創立64周年、それがすべてを物語る。
数あるイタリアンロードにおいて頂点に君臨するブランド=コルナゴ。
1954年エルネスト・コルナゴによって創設され、常に有力プロチームに
バイクを供給し続け数多くの栄光を手にし、ロードレースの歴史と共に歩んでいる。
1991年には現在の主流となっているカーボンフレームをすでに発表し、
他の追従を許さない独創的なデザインは今の時代にも色濃く残されている。
イタリア ミラノ近郊の都市、カンビアーゴにて7坪ほどの小さな工房で弟のパオロとともに「チクリ・コルナゴ」を開く。
モルティ二のジャージを着用したミケーレ・ダンチェッリはミラノ~サンレモに勝利し、世界中にモルティ二の名を広めることになった。
エディー・メルクスはメキシコシティの競技場において、コルナゴが製作したバイクでアワーレコードを樹立。車体重量をわずか5.7kgであった。
ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世にコルナゴ一家が拝謁。黄金に塗られたロードバイクを献上する。
フレディ・マルティンスはプラハで開催された世界選手権にて、スプリントでジュゼッペ・サロンニを破った。彼らはともにコルナゴに乗っていた。
ジュゼッペ・サロンニは昨年の屈辱を晴らすべく、世界チャンピオンになる。翌年のミラノ~サンレモではアルカンシェルを着用し優勝した。
ロサンゼルスオリンピックの100kmチームタイムトライアルにおいてイタリアチームが優勝。彼らが使用したバイクはコルナゴであった。
ヨープ・ズートメルクはイタリアのモンテッロで開催された世界選手権で優勝。クロモリバイク全盛の時代でコルナゴ知名度をさらに高めた。
ジョバンバッティスタ・バロンチェッリは過酷なコースレイアウトで有名なジロ・デ・ロンバルディアにて優勝。
フェラーリ社とのコラボレーションによる「C35(35周年記念モデル)」を発表。伝説の有機体とも呼ばれた。
フランコ・バレリー二がパリ~ルーベに勝利。それに続く5年間で、コルナゴはさらに4度の成功を収めた。すべてのレースに使用されたのはカーボン製バイクであり、世界で最も過酷なカテゴリーのレースにおいて高い性能を実証した。
マペイチームは40周年記念モデル「C40」で勝利を量産。22年ぶりにアワーレコードを更新したトニー・ロミンゲル。
パベル・トンコフはコルナゴのカーボンバイクでジロ・デ・イタリアを総合優勝。トニー・ロミンゲルがヴェルタ・エスパーニャを総合優勝。ダブルツールをコルナゴが制した。
フェラーリ社とのコラボレーション「CF1」を発表する。後に続くコラボレーションモデルにはCFの呼び名がつけられた。
オスカル・フレイレはリスボンで開催された世界選手権で優勝。2004年に2度目の優勝を飾る。95年オラーノ、96年ムセウ、98年カメンツィンと世界選手権をコルナゴが制した。
パオロ・ベッティーニはリエージュ~バストーニュ~リエージュでステファノ・ガルゼッリとワンツーを決める。ベッティーニが勝利を量産した年であった。
50周年記念モデル「C50」を発表。カーボンラグ製法とエアブラシで巧みに描かれたアートを思わせるペイントであった。
イタリア人スプリンター、アレッサンドロ・ペタッキのために開発されたと「Extreme-Power」を発表。
新城幸也がジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスのステージ入賞を果たし、世界選手権で前人未到の9位の成績を残す。
フランスの英雄、トーマス・ボックレールはツール・ド・フランスにおいて10日間マイヨ・ジョーヌを着用。マイヨジョーニュカラーに塗られたバイクを使用した。
スベン・ネイスがシクロクロスの世界チャンピオンを獲得。最強伝説を支えたのはコルナゴバイクであった。
60周年モデル「C60」を発表。極太パイプをカーボンラグにて繋ぐ製法で、プレスフィットBBを採用し時代の潮流に乗る。
女子プロ・ロードレーサー萩原麻由子選手がイタリアのステージレース「ジロ・ローザ」にてステージ優勝を飾る。
アレクサンドル・フォリフォロフがジロ・デ・イタリアの山岳タイムトライアルにおいてステージ優勝をV1-rで飾る。
フィリッポ・ガンナはトラック競技の4km個人追い抜きで世界チャンピオンとなる。
C60の後継モデルとなる「C64」を発表。進化した伝統のラグドフレームは、Cを冠するフラッグシップの名をまたひとつ上のステージへと押し上げる。
V2-rの後継モデルV3-RSを発表。Discブレーキを纏い、更なる軽量化を果たしたモノコック型フレームは、2020年のレースシーンの主役となりえる。