HISTORY
コルナゴの歴史
コルナゴの歴史
エルネスト・コルナゴは今年で満85歳。15歳の時にレースで初勝利し小柄な体格ながら持って生まれた才能で将来を有望視されるが、20歳になる目前のレースで左足を骨折。この時点で早くも選手生活にピリオドを打つこととなる。『無我夢中に働き、8時間労働の時代に連日16時間も働いた。要するに起きている間中はほぼ仕事をしていた。』オフィスでは朝誰よりも早く出てそして一番遅くまで仕事をする。選手生活を断念しフレームの製造に携わり60年を経った今でもその姿勢は変わらない。バイクをプロチームに供給し続け、そのレースにかけるひたむきな思いがこれまで多くの優秀なチャンピオンを輩出してきた。
イタリア ミラノ近郊の都市、カンビアーゴにて7坪ほどの小さな工房で弟のパオロとともに「チクリ・コルナゴ」を開く。
エディ・メルクスがコルナゴが製作したフレームでアワーレコードに挑戦。49.43195kmの新記録を樹立する。
ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世にコルナゴ一家が拝謁。黄金に塗られたロードバイクを献上する。
ジュゼッペ・サロンニが世界選手権優勝。コルナゴがレーシングブランドの最高峰である確固たる地位を築く。
F1の技術をロードバイクに生かすべく、フェラーリ社とのコラボレーションを開始。
フェラーリ社とのコラボレーションによる「C35(35周年記念モデル)」を発表。伝説の有機体とも呼ばれた。
当時、世界最強のマペイチームにフレーム供給を開始。伝説のモデル「C40(40周年記念モデル)」を駆り、勝利を量産する。
フェラーリ社とのコラボレーション「CF1」を発表する。後に続くコラボレーションモデルにはCFの呼び名がつけられた。
オスカル・フレイレが世界戦を制覇する。表彰台3位までをコルナゴが独占する快挙。
50周年記念モデル「C50」を発表。カーボンラグ製法とエアブラシで巧みに描かれたアートを思わせるペイントであった。
イタリア人スプリンター、アレッサンドロ・ペタッキのために開発されたと「Extreme-Power」を発表。
新城幸也がジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスのステージ入賞を果たし、世界選手権で前人未到の9位の成績を残す。
60周年モデル「C60」を発表。極太パイプをカーボンラグにて繋ぐ製法で、プレスフィットBBを採用し時代の潮流に乗る。
女子プロ・ロードレーサー萩原麻由子選手がイタリアのステージレース「ジロ・ローザ」にてステージ優勝を飾る。
アレクサンドル・フォリフォロフがジロ・デ・イタリアの山岳タイムトライアルにおいてステージ優勝をV1-rで飾る。
世界最高峰のレースカテゴリー「ワールドツアー」。新たに発足したUAEチームエミレーツへ機材供給を開始。ジロ・デ・イタリアではステージ優勝の活躍を見せる。