1963年から名門プロチームMOLTENIのメカニックとして働いていたエルネスト・コルナゴは加入から5年後の1968年に同チームへの機材供給もおこなうようになるが、ロードバイクにはチーム名のMOLTENIと書かれていた。1970年には同チームのミケーレ・ダンチェッリがコルナゴのロードバイクでミラノ~サンレモ優勝。そして翌年の1971年、人食いと呼ばれたベルギーの怪物エディ・メルクスがチームに加入。

どれぐらい怪物かというと、加入後の72年と74年にツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアの両レースを制覇するダブルツールを達成しており、しかも74年には世界選手権も優勝しているという暴れぶり(加入前の70年にもダブルツールを取っているので計3回は歴史上ただ一人)。

いずれもコルナゴのロードバイクで成し遂げた栄光の数々であるが、今でも語り継がれる伝説が72年のダブルツール制覇のあとメキシコで行われたアワーレコードで、新記録を樹立した際に用意されたコルナゴのスペシャルトラックバイク。200時間をかけて徹底的に軽量化が施された車体重量は当時プロ仕様のトラックバイクの平均重量が10kgだったのに対して5.65kg、スチールフレームでカーボンパーツなどなかった時代に、である。これが軽量化=性能アップという図式を完成させ後の軽量化戦争のきっかけとなったのと同時に、技術面においてもコルナゴが世界の頂点に立った瞬間であった。

コルナゴがメルクスのために設計したバイク

40本スポークがプロレースで主流だったところに、このレースのために28本スポークホイールを設計した。ハンドルバー、ニップル、スポークにチタンを使い、サドルとシートピラーにベリリウムを使い、厚さわずか0.4mmのコロンバス製チューブを用いたスペシャルフレーム。タイヤはクレメンが手がけたセタ(絹)ケーシングの特注の軽量チューブラー、BBはカンパニョーロ特注の軽量モデル、穴あけ加工が施され95g軽量化されたチェーンやバーテープ下に合計48の穴開き加工を施したチネリのハンドルバーなど徹底的に軽量化が図られている。