コルナゴ56年のヒストリー、すべてはここから始まった。ロードレースの選手として将来有望と嘱されたエルネストコルナゴは、落車による骨折で選手生命を絶たれる。その後はメカニックとしての人生を歩み始め、カンビアーゴに自らの店をオープンする。右は弟のパオロ。
チミラノ-サンレモで、ミケーレ・ダンチェリ感動の優勝。この時よりクローバーのマークをシンボルとして使う。
エディー・メルクス、コルナゴ製マシンで
49.431kmのアワーレコードを樹立
19歳という異例の若さでプロ入りしたジュゼッペ・サロン二は、1979 年のジロ・デ・イタリア初優勝を皮切りに、後にサロン二カラーと呼ばれる赤いマスターでこの年の世界選手権優勝を優勝。その後、数々の大レースにおいて勝利を量産。コルナゴを最強ブランドへと押し上げた。1983年にはルトンゴ・コルナゴチームとしてジロ・デ・イタリアに圧勝。
コルナゴに乗るということは勝利へ近づく大きな一歩であり、またステイタスシンボルでもあった。振動吸収という観点でより良い素材を求め、カーボン素材に着目したのもやはりエルネスト。フェラーリ社とのコラボレーションで誕生したモデルは当時としてはあまりにセンセーショナルすぎた。
トミー・ロミンガー、コルナゴ製マシンにより55.291Kmの驚異的なアワードを樹立する。
ミケーレ・ラスムッセン、ツール・ド・フランスで
山岳賞をExtreme-Cで獲得
オスカル・フレイレ、ツール・ド・フランス3ステージ制覇。
アレッサンドロ・ペタッキ、自らの為に開発された「Extreme-Power」を駆って勝利を量産。
世界最高峰のレース「ツール・ド・フランス」に出場するチームにも機材供給を行い、数年来のパートナーシップを築いている。多くのコルナゴを愛する者たちが明るい未来へ向かってペダルを漕ぎ続けること。これこそが歴史を刻む最良の手段なのかもしれない。
日本を代表するロードレーサーである新城幸也が所属するブイグテレコムへの供給が決定。この年のジロ・デ・イタリアで日本人最高位のステージ3 位、ツール・ド・フランスではステージ6 位、世界選手権ロードレースでは9位に入る快挙を成し遂げる。
新城幸也、全日本ロードチャンピオンの証である日の丸ジャージを纏い、4度目となるツール・ド・フランス完走を果たす。